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【コーヒー伝説の国】エチオピアはどこ?どんな国?

コーヒー

エチオピアという国をご存知でしょうか。エチオピアで有名なものといえば、コーヒーです。

そして世界遺産が9つもあります。その内、代表的なものにダナギル砂漠というものがあります。

そして、東京ではエチオピアコーヒーとカリー(カレー)を出すエチオピアというお店を連想される方もいらっしゃるでしょう。

今回はそんなエチオピアについて解説していきます。

【エチオピア連邦民主共和国】の情報

エチオピアは正式名称をエチオピア連邦民主共和国といいます。

エチオピアは北東をジプチ、東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリアに囲まれた内陸国です。北にあるエリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家です。

エチオピアの首都など、その他の情報はこちらです。

首都:アディスアベバ

言語:アムハラ語、オロモ語、英語など

民族:オロモ族、アムハラ族、ティグライ族など80ほどの民族がある

宗教:キリスト教、イスラム教など

面積:109.7万㎢(日本の約3倍)

人口:約1億1400万人

エチオピアの世界から見た立ち位置と日本との関係性

人口と平均寿命について

エチオピアは東アフリカにある国で、アフリカ大陸の中ではとても人口の多い国です。

アフリカ州で1番人口の多い国はナイジェリアの約2億人で、次が1億1400万人のエチオピアです。以下、エジプト、コンゴと続きます。

日本の1億2500万人と比較すると人口はほとんど同じですが、国の面積は3倍もありますし、日本は高齢化社会となっていますが、エチオピアの平均寿命は伸びてきていますが約67歳となっており、さらに人口も徐々に増えています。

日本は出生率が下がり、2008年を境に人口は減少傾向にあるため、数値で見ると総人口は近いですが、近い将来日本の人口よりもエチオピアの人口が上回る可能性もあるでしょう。

エチオピアの植民地化

第一次世界大戦に負けたイタリアは、エチオピアの植民地化を図り、再度侵攻します。1935年当時エチオピア帝国はイタリア王国の侵略によって全土を占領されます。

その後1936年から1941年にかけてイタリア領東アフリカ帝国を成立させていました。

植民地としてイタリア領となっていたエチオピアは、第二次世界大戦勃発後、連合軍の侵攻により首都アディスアベバは陥落しました。これによりエチオピア帝国は連合国の一員となったが、イタリア王国の降伏までイタリア兵がエチオピア内におり、ゲリラ活動を行っていました。

1935年の日本は昭和10年で、日本ペンクラブが発足し、島崎藤村が初代会長に就任しました。

宝塚大劇場が焼失したり、ムツゴロウさん、ノムさんの愛称で親しまれる畑正憲さんや野村克也さんの生まれた年でもあります。

第二次世界大戦はまだ開戦されておらず、後に原爆ドームと呼ばれるようになる広島県物産陳列館と呼ばれ市民に愛されていました。

 

 

エチオピアと日本の時間の流れ

日本は第二次世界大戦で敗戦しますが植民地にされることはなく、その後経済成長期を経て現在に至りました。

エチオピアはコーヒー伝説で有名なコーヒー発祥の地でしたが侵攻を受け植民地化されたりすることもありました。

しかし現在では共に人口は1億人を超えています。また、過去にはエチオピアの皇族と日本の華族の縁談があった国です。

互いに厳しい時代もあったと思いますが、両国の関係がこれからも続き繁栄していくことを願います。

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